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 自称ぼっちをうた う私。
 ぼっちなのは、人見知りの陰キャだからというのもあるが、他人とのトラブルを避けたいからでもある。
 学生時代から今に至るまで、大小さまざまな人間関係トラブルに遭ってきた。

 ヒトヅキアイ、タイヘン。


 誰しも経験するであろう話なのかもしれないが、私の場合、人付き合いに苦手意識を持ってしまうくらいに 億劫おっくう だと感じている。
 まあ私も誇れるような性格かって言われるとそうじゃないと思う。
 たまに自己嫌悪にさいなまれる。

 昔は特にひどかった。
 いい意味で言えば、感情豊かだったけど、悪い意味で言えば、感情的になりやすかった。
 人間だから感情的になってしまうのは仕方ないのかもしれないが、感情の起伏がありすぎて正直疲れた。とは言っても。元々モヤモヤを相手にぶつけられるほど物言う人間じゃなかったからよかったが、処理の仕方がわからなかった。

 感情的な状態は二十歳を超えてからマシにはなった。でも、心に湧いた感情の行き場を失って、メンタルを壊しかけた。

 疲れを感じやすくなって以降は、環境を変えたのもあってメンタルも安定するようになった。
 相変わらずモヤモヤした感情の処理を持て余していたが、いろいろ考えていった結果、
「なんか、この感情、意味なくね?」と思うようになった。

 特に不満や怒りに多いのだが、自分が何にイライラしたり、何に不満を持ったりするか、考えてみると、だいたいが「相手に何かを期待していた」からだった。
 思い通りにならなくて不満や怒りを感じるという感情プロセスを可視化できてからは、考え方を変えるようになった。

 とにかく、私は不満や怒りに狂いたくなかった。
 不満や怒りを感じてしまうと疲れるから、が一番の理由だ。
 何事も穏便に済ませられたらそれに越したことはない。


 相手に期待することが悪い、とまでは言わないが、
 その期待はそんなに重要か?
 もうちょっとハードル下げてもいいんでない?
 と思うようになってからは、不満も怒りも湧きにくくなった。

 いい感じで脱力できてる感じだ。
 たぶん、私には今の感じが性に合っているのだろう。
 
 うまくいかないことの方が多いが、過度な期待はせずに目的を見据えて手段を試行錯誤する考え方が身についてからは、生きづらさは軽くなった気がする。

 例えば、私が疲れる、あるいは不満を感じるのは、満員電車。
 満員電車には乗らなくていい仕事に就こうとさえ思っていたほどだ。
 しかし、学生時代はやむなくそんな場面に出くわす。
 そんな時は、1本早い電車で行けば、満員電車に乗らなくて済んだ。

 もし、その1本早い電車に乗り遅れても、それは早く家を出なかった私の責任になる。
 決して、誰かのせいではない。
 
 ここで言えることは、イライラする場面は工夫次第で避けられる、という点だ。誰かのせいにもしなくて済むし、ストレスも軽減される。
 そうなれば、うまくいかなかったらそん時はそん時だなと、納得できる。

 この思考ができるようになってから、ストレスはだいぶ減ったと感じている。
 自分の見聞きしているものは、必ずしも正しく認識できているわけじゃないので、それを念頭に置くと、物事は違う顔を見せるのだと思う。







 では、今日のお話はこれまで。
 お仕事おつかれさまです。
 ここはぼっち族の休憩所
 お話はまたの機会に。



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