ぼっち族の休憩所

ぼっち族の休憩所へようこそ🐐 ぼっち、おひとりさま、一人暮らし。何かと大変な世の中。ぼっちもどんどん増えていく模様⭐ 将来、漠然と不安なそこのあなた。ここで生活の情報や心の持ちようを共有しませんか? ここはおひとりさまの孤立感を和らげられるよう情報をお届けしています🐳 ※本ブログはプロモーションが含まれています。

カテゴリ: ぼっちの生態

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ネット上によく出てくる自己啓発関連の話。


その中でありがちなワードが自己肯定感。


私は自己肯定感が低いと中学生の頃から感じていた。


ネットやテレビで自己肯定感が低いことを良くないと断定された後に、自己肯定感が低いとどんな影響が出るか解説されていく。


こういうのを見るたび、そんな簡単に自己肯定感は上がらないだろと、冷めた考え方をしていた。


長い間染みついた性格を変えるのはかなり難しい。


歳を取れば尚更なおさらだ。


自己肯定感の高い人の考え方が紹介されているのを見るが、「あーこういう考え方が自己肯定感高い人の考え方なんだ」と、どこか他人事。


そもそも自分にはできないと思っているからだ。


もしそういう考え方をしたとしても、どこかで無理してる自分がよぎる。


それがストレスになったら元も子もない。


かつては自己肯定感の低い自分はダメな人間なんだと思ったこともあったが、長いこと自己肯定感の低い自分と向き合っている中でそう思うこと自体が不毛に感じるようになった。


無理して自己肯定感を高めて暗示をかける日々を送るより、自己肯定感の低い自分でもいいじゃないか、と思う方が楽だと気づいた。


んで、よくよく考えてみると、自己肯定感が低い人は、真っ先に自己肯定感が低い自分を肯定した方がいいんじゃないか? と。


自己肯定感を高めると言いながら自己肯定感の高低で是非判定するのっておかしくないか?


、、、なんか一休さんのとんちみたいでめんどくさい人みたいになってる気がする。


たぶん、自己肯定感高めた方がいい派からしたらそういうことじゃないんだろうが、私は自己肯定感を高めるよりも低い自分も認めてあげた方が手っ取り早いと体感している。


もちろん、自己肯定感の低いことによるデメリットもあるだろう。


だが、それは自己肯定感の高い人も同じじゃないだろうか。


物事にはメリットもデメリットもある。


一番大事なのは自己肯定感の高い低いにかかわらず、自身のストロングポイントとウィークポイントを知っておいて、良いところを活かしていくことじゃないだろうか。


誰にだって得手不得手えてふえてがあるのだから、完璧じゃない者同士協力し合った方が理にかなっていると思っている。




 では、今日はこれまで。
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ぼっちのみなさん、こんちくわ。


今日はぼっちなら必ずと言っていいほど遭遇するシチュエーションをご用意。


ぼっちじゃなくても、誰しもあるごく当たり前の日常の光景。


それが雑談


ふとした時に訪れる雑談タイム。


親しい人ならまだいいが、それほど親しくない人と一緒にいることもある。


そういう時、雑談になることもあるだろう。


気がつけば、自分は他の人たちの会話をただ聞いているだけ。


一緒の空間にいるのに完全に蚊帳かやの外状態。


別にそれでもいい。


気にしないという人もいるだろう。


私もそうだ。


でも、やっぱりぼっちは嫌だ。


無言の空間が気まずい。


そういう人もいると思う。


蚊帳かやの外状態でも気にしなくなってしまった私が思う、ぼっちがやってしまっている会話が続かないダメダメパターンをご紹介。


まず1つ目


相槌あいづちしかしない


何か振られても「そうですね」とか、オウム返しをしたりとか。


相手が聞くことに対し、Yes or No でしか返さず、素っ気ない。


これでは会話は広がらない。


質問されたら、「私はこうです。○○さんは?」といった風に返せば、話が広がるかも……。


私はこれすらしてないので、会話が続かない。



2つ目。


相手の冗談に対し、微笑むだけ


冗談をよく言う人がちょいちょいいるが、それに微笑むことしかできない。


ツッコめないのだ。


芸人さんみたいにツッコめとか、大げさにリアクションしろとかではなく、何かしら言語化した返しをした方が会話は弾む。


よく雑談をしている人はそんなキャッチボールをしている。




何かの話題について会話をしている時、そこからもっと深堀りできる余白があるはずだ。


だが、私のような会話下手のぼっちは深く言及しない。


例えば、「休みの日は何をしてるの?」と聞かれたとする。


私「ブログ書いてる」


相手「へぇ。ブログ書いてるんだ。どんなの書いてるの?」


私「ぼっちの情報ブログみたいな」


相手「すごいね。人気ブロガーなの?」


私「いや、そこまでじゃないな」


相手「そっか。どっか遊びに行ったりしないの?」


私「しないなぁ」


相手「俺、休みの日にパチンコ行くんだけど、今日全然ダメだわと思って席離れて、今日はもうやめるかと思って1服して帰ろうと思ったら、帰り際に俺がいた席におばちゃんがいてさ。めっちゃ玉出しまくってて、嘘だろってなったわ」


私「ああ、まあそういう時もあるよね」


相手「うん……そうなんだよ」


会話終了。








ここで、「週に何回行ってるの?」とか、「競馬もやるの?」とか。


広げようはいくらでもある。


私はそういうことを怠ってきたために蚊帳の外状態を味わっている。


もし、ぼっちになりたくなければ、リアクションはいいとして、素っ気ない返しだけで終わらないように心掛けた方がいいかもしれない。


学生時代もそういう感じで過ごしてきた。


それもあって、ぼっちであることもあった。


だが、私の場合は部活に入っていたり、陽キャの友達がいたのでそこまでぼっちというわけでもなかった。


私は友人に恵まれたのでそこまでぼっちではなかったが、彼女がいた試しがないし、モテもしなかった。


友達が少なくてもよかったし、彼女がいなくても平気だったからいいが。


ぼっちに進んでなる人は今でも少数派だろう。


私の場合は人と会話をする中で相手の機嫌を損ねるような発言を言ったりしないか気にしてしまうので、逆にストレスになっていることもある


それが嫌で、親しい人以外とはあんまり会話ができない。


仲良くなればそれなりに話すけど、仲良くなるまでが大変。


また、友人関係でも変なことになったりすることもあるので、その経験もあって人付き合いがめんどくさくなった。


その件についてはおいおい話すとする。


では、ぼっちのみなさん、ぼっちじゃない人も。


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10月31日。ハロウィーン。


この日、各地で多くのイベントが行われた。
仮装して、歩き回るイベントだ。

ある人はこの日のために自作した衣装を着るらしい。
たまにコミケの写真が出回ってくるが、めちゃめちゃクオリティ高い人がいる。


単純にすげぇってなる。

他人のコスプレを見るのは楽しいが、自分が仮装するのはハードルが高い。


自作できるほどの技術もない。
せいぜいドンキで衣装を買って着るくらいだ。


そもそも、人出の多いところに出向く時点で厳しい。
人でごった返す渋谷とか無理すぎる。


ぼっちは大人しく家にいるか。


ということで、私はハロウィーンも家にいた。


気楽な家が一番だ。
ハロウィーンは他の人にとっては特別な日かもしれないが、私には他の日と変わらない。
だからと言って、ハロウィーンけしからん! とは思わない。
基本的には他人に迷惑かけないならご自由に、と思っている。


食べ物もいつも通り。
なんの特別感もない食事だ。


とにかく穏やかな日々が過ごせればなんでもいい。
平和が一番だ。







今年もあと2ヶ月。2024は激動だった。
今年始めた本ブログ。
ブログも1年目が終わる。


たいした稼ぎはないが、案件をいくつかもらえたりもした。


最初はどういう形でブログをやっていこうか迷っていたが、なんとなくこういう形がいいという方向性がブログをしていくうちに見えてきた。


やっぱり、ブログは自分の性に合っている。


これで稼ぎがあれば申し分ないのだが……。


あまり振り返っていると、12月の最後に言うことが減ってしまうのでここまでにしておく。


まだまだ改善の余地のあるブログ。
そして、他SNS。
これらを駆使して、このぼっち族の休憩所をいつでも訪れていいいこいの場所にしたいと思う。


では今日はここまで。



よろしければ、こちらもご覧ください。



12. そろそろ旅行に行くかい?


21. グルメで健康になろう


37. ぼっちの生活にアニメを【アニメ3選紹介】


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この世界で生きる以上、人間関係の悩みは尽きない。


ぼっちだって人間関係の悩みを抱えている。


1人行動好きであり、ぼっちでもある私も、人間関係の悩みは大なり小なりある。


過去でも、現在進行形でも。


特にぼっちは、他の人に理解されにくい人間関係の悩みがあるんじゃないだろうか。


それらを一気に言ってしまうと、話がとっちらかってしまうので条件を絞ってみる。


今回は頼み事をする場面を取り上げる。




先に言っておくが、今回の話は個人の見解が大いに反映されているので、必ずしもぼっちやおひとりさまの人たちがそう思っているわけではない。


あくまで、ぼっちの私個人の考えであることを踏まえて、読んでいただけるとありがたい。





私の中でも人に頼み事をするのは難易度が高い。


できるか、できないかで言えば、頼み事はできるが疲れる


迷惑じゃないだろうかと気にしてしまうのだ。


ただ、頼まないとできないこともあるので、そういう場合は諦めがつく。


仕事ではこういうことが多い。


覚悟を決め、できるだけ申し訳ない感を出して頼んでみる。


申し訳ない感を出し過ぎてもよくない気がするので、言葉少なに頼むことにしている。


ただ、自分でもできる場合は、人に頼まないで自分でやってしまいたくなる。


誰かに頼むのは基本的に相手の手をわずらわせると思っている。


なので、なるべく自分でやれることは自分でやってしまおうという傾向が強い。


急ぎじゃないなら、基本自分で何事も済ませてしまいたいと思っている。


例えば、それなりに広いお店に買い物に行くとしよう。


目当てのものが探してもない。


たぶん、あるだろうと思い、そのお店に来たが、どこを探しても見つからない。


そういう時、店員さんに聞けばいいのだが、私の場合はできる限り自分で探している。


探し回っているうちに、ここはそういうエリアね。


ああ、ここは文具か。


こっちは電子機器か。


と、見当をつけて目当てのものを探し当てている。


それで探し当てているし、このエリアになかったらないだろうなと、だいたい察しがつく。


他の人が見たら、それ効率悪くない?と思うかもしれないが、正直、店員さんに声をかけるのはなるべく避けたい。



しかし、店員さんにどうしても声をかけないといけない場面が飲食店だ。


椅子に座り、メニューを開いて決めた後、作業している店員さんに「すみません」と声をかける。


声をかける時は、タイミングを見計らっていた。


自分の近くを通ったタイミングならそんなに声を張り上げなくてもいい。


このタイミングなら良さそうだな。


そう思って声をかけようとした時、他の客に先を越されてなんてこともしばしば。


私にとっての難関だった。


最近は呼び出しボタンが設置してあったり、タブレットで注文できるようになってきたので助かっている。



私の場合、自分でできること、できそうなことは人に頼まないようにしてしまう。


特に問題ないならそれでいいとは思う。


だが、それが極端になると問題を1人で抱え込んでしまう危険性があるので気をつけている。


誰かに頼むのもそうだが、相談も苦手。


どこに相談すればいいのかすらわからない場合もあるが、こんなこと相談してもいいのだろうかと足踏みしてしまうこともある。


遠慮とコミュニケーションの苦手意識から他者と関わりを減らしていく傾向にあると自己分析している。


できるかどうか少しでも不安なら、相談できるところをいくつか探してみてほしい。


意外と多種多様なサービスがある。


誰かに見つけてもらおうとするのではなく、探しに行ってみよう。


たとえ解決しなくとも、相談を聞いてもらっているうちに現実を見つめてちゃんと考えられるきっかけになるかもしれない。


最近はメールやチャットでも相談できるところもある。


自分に合いそうなところで相談してみよう。



関連記事はこちらになります。


















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これまで、私はいろんな仕事をしてきた。


転職を繰り返してきたのは様々な理由があるが、主な要因は自分が圧倒的に普通の働き方が向いていなかったことだと思う。


私が言う普通の働き方とは、親世代が当たり前にやってきたライフワークである。


会社に行き、週5、8時間勤務のフルタイムで働く。


それが普通の働き方だと思ってきた。


時代は変わり、様々な働き方が出てきた。


だが、私は普通の働き方がまだメジャーだった社会に適応しようとした。


で、実際にやってみると思ったよりきつかった。


まず、週5、8時間のフルタイムがきつかった


最初にやった仕事がきつすぎたせいもあるかもしれない。


何を思ったか、コミュ障陰キャのくせに福祉系の仕事に就いた。


誰もが社会に適応してやっているんだから、自分もそうすべきだ。


だから自分もできるはず……。


そう思ってやっていたが、日に日に心が疲弊していった。


このままじゃ、自分の心が持たない。


思いが募り、私は2年で仕事を辞めた


どうにか解放され、少しの休養期間を経てからは、無理のない仕事を探した。


様々な仕事に就いて、自分に合いそうな仕事を見つけようとした。


10年以上やってきたけど、私はとことん人付き合いが向いていなかった。


年齢を重ねるたびに強くなり、それからは普通の仕事に就くのは諦めようと思った。


今までは安定した収入を得るためにハローワークや一般的な求人サイトに載っている仕事に就くことにこだわってきたが、なるべく自分の心の負担が重くならない仕事を見つけようと思った。


たぶん、私はコツコツとやれる職業が性に合っているのだろう。


だからと言って、怪しげな仕事には就きたくないので、その辺は慎重にいきたい。


例えば、今みたいにブログで稼ぐような仕事だ。


ま、残念ながらほぼ収入のない状況なので、仕事とは言えないが。。。。



audiobook.jp



生活できる収入を得られるくらいにならないといけないので、新しいことに挑戦することも検討しつつ、試行錯誤しながら自分の道を模索してみようと思う。


今回は短いが、この辺にしよう。


こちらも関連したお話を書いているので、よかったら。







このような記事も書いているので、こちらもご参照ください。














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