ぼっち族の休憩所

ぼっち族の休憩所へようこそ🐐 ぼっち、おひとりさま、一人暮らし。何かと大変な世の中。ぼっちもどんどん増えていく模様⭐ 将来、漠然と不安なそこのあなた。ここで生活の情報や心の持ちようを共有しませんか? ここはおひとりさまの孤立感を和らげられるよう情報をお届けしています🐳 ※本ブログはプロモーションが含まれています。

カテゴリ: ぼっちの生態

※このコンテンツはプロモーションが含まれています。


今日はお知らせ。


私のSNSを見てくださっている方はもう知っているかもしれないが、『キリオカユウゼンのぼっちさんぽ』というYouTubeチャンネルを始めた。


実は前々から計画はしていた。


どんな感じでやっていくか検討し、いろいろ調べて準備を進めていた。


ようやく開設できてよかった。







まだ始めたばかりなので閑古鳥かんこどりが鳴いているが、収益化できるよう頑張っていく。


なぜ、YouTubeを始めたのかを申すと、元々運動をしていた自分は筋肉質だったのだが、めっきり運動しなくなって、太り気味だったのが前々から気になっていた。


ブログを始めてからは余計に太ってきたので、健康のためにも運動をしたいと思っていた。






そこで、どうせならこれもブログの一環にできないかと思い、散歩する動画を撮り、YouTubeに上げてみようと思った。


上記の動画の字幕機能を使ってみてほしい。


字幕機能を使って、文字でもお届けできるショート動画をつくった。


今後は音声もつけようと思っている。


景色を楽しんでもらいながら、様々なお話をさせてもらおうと思っている。


また、YouTubeちゃんねる開設を機に、いまいち活用しきれていなかったインスタグラムにも積極的に投稿していく。





作業BGMのラジオ、またはゆっくり観られるような動画を上げていくので、高評価、チャンネル登録など、よろしくお願いします( ´∀`)つ



「#ぼっち」人気ブログランキング


今日は早いがここまで。
今日もお疲れ様!
ここはぼっち族の休憩所


※このコンテンツはプロモーションが含まれています。


人生に意味はあるのか、ないのか。


この問いかけはちょいちょい聞く。


私は意味があると思っているのだが、意味がないという意見もなんとなくわかる気がする。


そもそも何か役を与えられて産まれてきたわけではないし、別に私の替えは世界中にいくらでもいる。


『替え』というのは、社会を成立させるための人員という意味である。


密接な関係にある人たちの間には、替えなどないのだろう。


私は独り身であるが、学生時代の友人は代えがたい関係だった。


しかし、今では疎遠だ。


そういう意味では、人生において意味がなかったとも言える。


ただ、彼らと過ごした日々はかけがえのない財産だと思っている。


人の生まれた意味、生きる意味なんてのは時の流れとともに変わってしまうほど安定していない気がする。


それは答えのない問いかけだからじゃないだろうか。


確かな答えがあるわけではなく、またその答えがあったとしても、1つとは限らないんじゃないだろうか。


このように悶々と考えているうちに意味は生まれている。


だが、考えなければ意味は生まれないままだ。


生きる意味、生まれた意味は人が作っていくものなのかもしれない。


意味があってもなくても、この世界は回っていく。


もし、人にとって意味がある方が生きやすいなら意味はあっていいし、意味がない方がいいなら意味はなくてもいいんじゃないか。


人生の意味は、生きるための道しるべになるならあった方がいいのだろう。


ただし、人生の意味誰かに決めてもらうのではなく、自分で決めることが大事なんじゃないだろうか。



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村







今日も一日お疲れ様です。
また明日も体を大切にして、頑張りましょう。
ここはぼっち族の休憩所
いつでも来てください。

※このコンテンツはプロモーションが含まれています。


ネット上によく出てくる自己啓発関連の話。


その中でありがちなワードが自己肯定感。


私は自己肯定感が低いと中学生の頃から感じていた。


ネットやテレビで自己肯定感が低いことを良くないと断定された後に、自己肯定感が低いとどんな影響が出るか解説されていく。


こういうのを見るたび、そんな簡単に自己肯定感は上がらないだろと、冷めた考え方をしていた。


長い間染みついた性格を変えるのはかなり難しい。


歳を取れば尚更なおさらだ。


自己肯定感の高い人の考え方が紹介されているのを見るが、「あーこういう考え方が自己肯定感高い人の考え方なんだ」と、どこか他人事。


そもそも自分にはできないと思っているからだ。


もしそういう考え方をしたとしても、どこかで無理してる自分がよぎる。


それがストレスになったら元も子もない。


かつては自己肯定感の低い自分はダメな人間なんだと思ったこともあったが、長いこと自己肯定感の低い自分と向き合っている中でそう思うこと自体が不毛に感じるようになった。


無理して自己肯定感を高めて暗示をかける日々を送るより、自己肯定感の低い自分でもいいじゃないか、と思う方が楽だと気づいた。


んで、よくよく考えてみると、自己肯定感が低い人は、真っ先に自己肯定感が低い自分を肯定した方がいいんじゃないか? と。


自己肯定感を高めると言いながら自己肯定感の高低で是非判定するのっておかしくないか?


、、、なんか一休さんのとんちみたいでめんどくさい人みたいになってる気がする。


たぶん、自己肯定感高めた方がいい派からしたらそういうことじゃないんだろうが、私は自己肯定感を高めるよりも低い自分も認めてあげた方が手っ取り早いと体感している。


もちろん、自己肯定感の低いことによるデメリットもあるだろう。


だが、それは自己肯定感の高い人も同じじゃないだろうか。


物事にはメリットもデメリットもある。


一番大事なのは自己肯定感の高い低いにかかわらず、自身のストロングポイントとウィークポイントを知っておいて、良いところを活かしていくことじゃないだろうか。


誰にだって得手不得手えてふえてがあるのだから、完璧じゃない者同士協力し合った方が理にかなっていると思っている。




 では、今日はこれまで。
 みなさん、おつかれさまです。
 みんな頑張った。
 ここはぼっち族の休憩所
 お話はまたの機会に。


PVアクセスランキング にほんブログ村

※このコンテンツはプロモーションが含まれています。


ぼっちのみなさん、こんちくわ。


今日はぼっちなら必ずと言っていいほど遭遇するシチュエーションをご用意。


ぼっちじゃなくても、誰しもあるごく当たり前の日常の光景。


それが雑談


ふとした時に訪れる雑談タイム。


親しい人ならまだいいが、それほど親しくない人と一緒にいることもある。


そういう時、雑談になることもあるだろう。


気がつけば、自分は他の人たちの会話をただ聞いているだけ。


一緒の空間にいるのに完全に蚊帳かやの外状態。


別にそれでもいい。


気にしないという人もいるだろう。


私もそうだ。


でも、やっぱりぼっちは嫌だ。


無言の空間が気まずい。


そういう人もいると思う。


蚊帳かやの外状態でも気にしなくなってしまった私が思う、ぼっちがやってしまっている会話が続かないダメダメパターンをご紹介。


まず1つ目


相槌あいづちしかしない


何か振られても「そうですね」とか、オウム返しをしたりとか。


相手が聞くことに対し、Yes or No でしか返さず、素っ気ない。


これでは会話は広がらない。


質問されたら、「私はこうです。○○さんは?」といった風に返せば、話が広がるかも……。


私はこれすらしてないので、会話が続かない。



2つ目。


相手の冗談に対し、微笑むだけ


冗談をよく言う人がちょいちょいいるが、それに微笑むことしかできない。


ツッコめないのだ。


芸人さんみたいにツッコめとか、大げさにリアクションしろとかではなく、何かしら言語化した返しをした方が会話は弾む。


よく雑談をしている人はそんなキャッチボールをしている。




何かの話題について会話をしている時、そこからもっと深堀りできる余白があるはずだ。


だが、私のような会話下手のぼっちは深く言及しない。


例えば、「休みの日は何をしてるの?」と聞かれたとする。


私「ブログ書いてる」


相手「へぇ。ブログ書いてるんだ。どんなの書いてるの?」


私「ぼっちの情報ブログみたいな」


相手「すごいね。人気ブロガーなの?」


私「いや、そこまでじゃないな」


相手「そっか。どっか遊びに行ったりしないの?」


私「しないなぁ」


相手「俺、休みの日にパチンコ行くんだけど、今日全然ダメだわと思って席離れて、今日はもうやめるかと思って1服して帰ろうと思ったら、帰り際に俺がいた席におばちゃんがいてさ。めっちゃ玉出しまくってて、嘘だろってなったわ」


私「ああ、まあそういう時もあるよね」


相手「うん……そうなんだよ」


会話終了。








ここで、「週に何回行ってるの?」とか、「競馬もやるの?」とか。


広げようはいくらでもある。


私はそういうことを怠ってきたために蚊帳の外状態を味わっている。


もし、ぼっちになりたくなければ、リアクションはいいとして、素っ気ない返しだけで終わらないように心掛けた方がいいかもしれない。


学生時代もそういう感じで過ごしてきた。


それもあって、ぼっちであることもあった。


だが、私の場合は部活に入っていたり、陽キャの友達がいたのでそこまでぼっちというわけでもなかった。


私は友人に恵まれたのでそこまでぼっちではなかったが、彼女がいた試しがないし、モテもしなかった。


友達が少なくてもよかったし、彼女がいなくても平気だったからいいが。


ぼっちに進んでなる人は今でも少数派だろう。


私の場合は人と会話をする中で相手の機嫌を損ねるような発言を言ったりしないか気にしてしまうので、逆にストレスになっていることもある


それが嫌で、親しい人以外とはあんまり会話ができない。


仲良くなればそれなりに話すけど、仲良くなるまでが大変。


また、友人関係でも変なことになったりすることもあるので、その経験もあって人付き合いがめんどくさくなった。


その件についてはおいおい話すとする。


では、ぼっちのみなさん、ぼっちじゃない人も。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

 今日もお疲れ山です。
 ここはぼっち族の休憩所
 お話はまたの機会に。

※このコンテンツはプロモーションが含まれています。


10月31日。ハロウィーン。


この日、各地で多くのイベントが行われた。
仮装して、歩き回るイベントだ。

ある人はこの日のために自作した衣装を着るらしい。
たまにコミケの写真が出回ってくるが、めちゃめちゃクオリティ高い人がいる。


単純にすげぇってなる。

他人のコスプレを見るのは楽しいが、自分が仮装するのはハードルが高い。


自作できるほどの技術もない。
せいぜいドンキで衣装を買って着るくらいだ。


そもそも、人出の多いところに出向く時点で厳しい。
人でごった返す渋谷とか無理すぎる。


ぼっちは大人しく家にいるか。


ということで、私はハロウィーンも家にいた。


気楽な家が一番だ。
ハロウィーンは他の人にとっては特別な日かもしれないが、私には他の日と変わらない。
だからと言って、ハロウィーンけしからん! とは思わない。
基本的には他人に迷惑かけないならご自由に、と思っている。


食べ物もいつも通り。
なんの特別感もない食事だ。


とにかく穏やかな日々が過ごせればなんでもいい。
平和が一番だ。







今年もあと2ヶ月。2024は激動だった。
今年始めた本ブログ。
ブログも1年目が終わる。


たいした稼ぎはないが、案件をいくつかもらえたりもした。


最初はどういう形でブログをやっていこうか迷っていたが、なんとなくこういう形がいいという方向性がブログをしていくうちに見えてきた。


やっぱり、ブログは自分の性に合っている。


これで稼ぎがあれば申し分ないのだが……。


あまり振り返っていると、12月の最後に言うことが減ってしまうのでここまでにしておく。


まだまだ改善の余地のあるブログ。
そして、他SNS。
これらを駆使して、このぼっち族の休憩所をいつでも訪れていいいこいの場所にしたいと思う。


では今日はここまで。



よろしければ、こちらもご覧ください。



12. そろそろ旅行に行くかい?


21. グルメで健康になろう


37. ぼっちの生活にアニメを【アニメ3選紹介】


 みなさん、おつかれさまです。
 みんな頑張った。
 ここはぼっち族の休憩所
 お話はまたの機会に。


ぼっち族の休憩所 - にほんブログ村

↑このページのトップヘ