ぼっち族の休憩所

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2024年09月

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「歳は取りたくないものだ」


そんな小言を聞き流していた頃があった。


まだ年齢を気にする歳じゃないかもしれないが、やはり10代や20代の頃の自分を知っていると、差を意識してしまうものらしい。


私はファッションなど気にしない性質たちだが、なるべく若くありたいとは思っている。


いろいろ意識して、健康を保てるようにはしている。


しかし、10代や20代の頃と同じことはできないようだ。


習慣や考え方が変わったせいもあるだろうが、20代ではやっていたけど、30代でやらなくなったことがあると、振り返ってみて思うようになった。


今回はそれらを書き出してみる。



マックで買う物




20代では普通にバーガーを買っていたが、30代ではドリンクしか頼まなくなった。


これは私のイメージだが、マックのフードは基本カロリー多めと認識している。


20代では普通に食えたけど、30代では1つバーガーを平らげただけでもお腹いっぱいになる。


運動量が段違いに減ったせいもあると思うが、栄養を考えた健康志向を意識するようになったからだろう。


今じゃ、マックに通うのもたまにくらいの頻度だ。


ちなみに、夏はマックシェイク、冬はコーヒーを頼んでいる。




お酒・たばこ




20代になってお酒を飲める喜びを知り、定期的にお酒を飲んでいた。


でも、20代後半になってお酒を飲める量が減り、たまにしか飲まなくなった。


たばこは前々からやめようと思っていたが、最近ようやく禁煙するようになった。


ストレスで吸うようになったが、そろそろ健康のために吸うのをやめようと考えていた。



何度か断念したけど、今回は最高記録を更新している。









オール(寝ないで次の日を迎える)すること




学生だった頃や20代前半は普通にあった。


余裕じゃなかったけど、いけた。


30前後になってからはきつくなってきて、なるべくやらないようになった。


睡眠時間が足りなくても、せめて3時間くらいは寝るようになった。



誰かに怒りをぶつけること




人間なんだから怒りを感じるのは当然だと思う。


10代は特に怒りっぽかった気がする。


20代後半に近づくにつれ、怒りを感じることに疲れた。


そしたら、怒りを感じることそのものに疑問を抱くようになった。


これは本当に怒ることなのか?


考えてみると、そんなに怒らなくてもいいことだったり、怒ってもなんのえきもない、なんてことがある。


そういう物の考え方になった、というのもあるが、実際は怒ることにエネルギーを使うのが疲れるから嫌なだけだったりする。


異常に疲れ、益もないとなったら怒る気も失せる。


怒りを感じたら怒るのではなく、離れるがいいと気づいた。


アンガーマネージメントで5秒深呼吸という話を風のウワサで聞いたことがあるが、たぶん曲解きょっかいか勘違いが入っていると予想している。


離れられないなら、のらりくらりかわせるスキルを持ってる人を参考にした方がいい。


私はとりあえず謝って、こちらの意思を伝えるだけに留めるくらいしかできない。


余計なことを言うと、火に油を注ぐことになりかねないので。


みなさんも年齢を重ねてやらなくなったことがあるのではないだろうか。


意識的・無意識かかわらず、やらなくなったことによって生活の質が上がることもあると思う。


もし、そういうことがあったらコメントして、みなさんと共有してみてください。


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 では、今日はこれまで。
 みなさん、おつかれさまです。
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これまで、私はいろんな仕事をしてきた。


転職を繰り返してきたのは様々な理由があるが、主な要因は自分が圧倒的に普通の働き方が向いていなかったことだと思う。


私が言う普通の働き方とは、親世代が当たり前にやってきたライフワークである。


会社に行き、週5、8時間勤務のフルタイムで働く。


それが普通の働き方だと思ってきた。


時代は変わり、様々な働き方が出てきた。


だが、私は普通の働き方がまだメジャーだった社会に適応しようとした。


で、実際にやってみると思ったよりきつかった。


まず、週5、8時間のフルタイムがきつかった


最初にやった仕事がきつすぎたせいもあるかもしれない。


何を思ったか、コミュ障陰キャのくせに福祉系の仕事に就いた。


誰もが社会に適応してやっているんだから、自分もそうすべきだ。


だから自分もできるはず……。


そう思ってやっていたが、日に日に心が疲弊していった。


このままじゃ、自分の心が持たない。


思いが募り、私は2年で仕事を辞めた


どうにか解放され、少しの休養期間を経てからは、無理のない仕事を探した。


様々な仕事に就いて、自分に合いそうな仕事を見つけようとした。


10年以上やってきたけど、私はとことん人付き合いが向いていなかった。


年齢を重ねるたびに強くなり、それからは普通の仕事に就くのは諦めようと思った。


今までは安定した収入を得るためにハローワークや一般的な求人サイトに載っている仕事に就くことにこだわってきたが、なるべく自分の心の負担が重くならない仕事を見つけようと思った。


たぶん、私はコツコツとやれる職業が性に合っているのだろう。


だからと言って、怪しげな仕事には就きたくないので、その辺は慎重にいきたい。


例えば、今みたいにブログで稼ぐような仕事だ。


ま、残念ながらほぼ収入のない状況なので、仕事とは言えないが。。。。



audiobook.jp



生活できる収入を得られるくらいにならないといけないので、新しいことに挑戦することも検討しつつ、試行錯誤しながら自分の道を模索してみようと思う。


今回は短いが、この辺にしよう。


こちらも関連したお話を書いているので、よかったら。







このような記事も書いているので、こちらもご参照ください。














 では、今日のお話はこれまで。
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日本の読解力の低下を嘆く論調はたびたび見られる。


3年1度行われる国際学習到達度調査(PISA)では、2015年は8位、2018年は15位と順位を下げていた。しかし、2022年では3位と高い順位を示した。


国際学習到達度調査(PISA)とは、
15歳を対象に読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野について、経済協力開発機構(OECD)によって3年ごとに実施されている世界的な学力調査である。


データ上は全体的に問題ないという結果が出ているが、一方で日本人の読解力低下は今でも話題になる。


では、実際はどうなのだろうか。


考察してみたいと思う。


読解力が低下しているとしたら原因は?




国際学習到達度調査(PISA)によると、日本の読解力が下がったのは2015年、2018年。


この時期、なぜ下がったのか。


考えられる主な原因は、スマホである。


NTTドコモ モバイル社会研究所によると、15歳から79歳の男女を対象にスマホの所有動向を調査した。2015年にスマホの普及率は50パーセントを超え、2018年には74パーセントを超えた。


NTTドコモ モバイル社会研究所 2024年調査


この頃に多くの人が新鮮なSNSやスマホゲームなどに触れるようになったことを考えると、誰もが夢中になっていたのではないだろうか。


スマホ依存とも呼ばれ、社会問題として取り上げらるようになった。


単純に勉強時間を奪ったからでもあるが、短文で口語的な文章を読み書きするようになり、読解力が低下していったのだろう。すると、使う単語が狭まり、単語の意味が分からないことが増えてくる。


スマホがあるから単語の意味を調べるかと言えば、ほとんどの人はしない。
だいたいの人は調べず放置する。前後の文脈でなんとなく理解できるからだ。


たとえ解釈が間違っていたとしても、自己完結できることなら間違っていても指摘されない。
そのまま大人になり、仕事や人間関係などに影響を及ぼしているかもしれない。


その後、2022年では回復している。


これはスマホが当たり前の世代がテストを受けているからではないだろうか。


依存性はあるものの、SNSの殺伐とした雰囲気に疲れてしまい、それほどスマホに傾倒しなくなったため、勉強するようになった可能性がある。


動画配信サービス、ゲームもいずれ飽きが来るとやることがなくなり、将来に重要な勉強した方がいいと思い、勉強する人が増えたのではないだろうか。


2022年に順位が上がったのは、コロナの影響が他国と比べて少なかったからではないか、という意見もある。


なので、2025年のテストの結果を待った方がいいかもしれない。



読解力低下によってどんな問題があるのか




文章を読み慣れていないと、理解する力がおとろえていく。
スマホで見るLINEやXなどは限られた語彙ごいと話し言葉が多いので、どうしても語彙がかたよる。


すると、テストで問題に向き合う時、何を問われているのか分からない、問われていることを勘違いしてしまい、テストの点数が下がってしまう。


テストは学生とって重要な問題だ。


問題文で問われていることが分からない。
問題文の意味が分からない。


それで限りある解答時間を費やしていては、通知表にも響く。


社会人では、資料作成を頼まれることもあるだろう。


文章を作成するためには単語、文章の意味を正確に理解し、文を組み立てる力が必要になる。


主語と述語の関係、この修飾語はどの単語にかかっているのか。


それらを意識し、なるべく意図を理解してもらう資料づくりが求められる。


ひな形があるから心配ないと言われるかもしれないが、必ずしもひな形があるとは言えないので、相手に伝わる文章を作れるようになった方が重宝されると思われる。


契約関係や利用規約などに出くわす場面では、書かれていることの意味が分からないなんてこともあるだろう。難しい単語や言い回しがあるので分からないこともあるだろう。

そこはお問い合わせ等で聞けば、解決できるかもしれないが、そういう契約関係の話を理解せず、トラブルに発展するケースもある。

契約に関しては、弁護士などがネット上で解説している場合もあるし、ネットでも載っている場合があるので、検索してみるのも手だろう。
ただし、これは言うまでもないかもしれないが、ガセも多いので気をつけた方がいい。


文章を読み慣れている人は理解するのも早いし、ストレスも少なく満足できる社会生活を送れる可能性が高い。



昨今のSNSでの炎上も、読解力が関係していると指摘する人も多い。


ただ、SNS(まあメディア自体がそうなのだが)は珍しい人が注目されやすいし、それを支持する設計になっている点に留意りゅういする必要がある。


発信する側、受け取る側。双方に言えるが、言葉足らず、勘違い、思い込みによって、批判している、されていることもあるようだ。


特に文字数制限のあるSNSではこういったことが多い傾向にあるらしい。


話を聞く際、情報を整理し、何が事実で、何が推測または憶測かを仕分けする力が求められている。


それができないと、的外れな批判をしてしまい、かえってトラブルになることもある。


まずは冷静に情報を読み解くことから、騒がれている話を咀嚼そしゃくした方がいいだろう。


読解力の低下を防ぐには?




これは私の個人的見解だが、読解力の低下、または読解力が低くなってしまっているのは、子供ではなく、大人だと思っている。


少なくとも子供は学校に行っている子が多く、本を読む機会に恵まれている。


たくさんの文書を処理せざるを得ない状況にあるため、読解力は低下しにくいのではないだろうか。


ただし、大人は違う。


大人は画一的に勉強しているわけではない。


文書に触れる機会の多い少ないは、仕事によって異なる。


そうすると、書き言葉を使う頻度ひんどに差が生まれ、使わなくなった言葉は頭にすら浮かんでこなくなる。


文書を書かなければならない時、適切な言葉が思いつかない場面が増えてきたのであれば、黄色信号が灯っているかもしれない。


文章を読む習慣のあったスマホのない時代は読解力が衰えづらかった。だからこそ、本を読むのはとても貴重で有益だと思う。


よく、新聞や本を読まなくなったから読解力が低下したと言われるが、個人的には本を読むだけでは読解力は上がらないと思っている。


本を読んでいると、知らない言葉にも出くわすが、普段使わないが読める言葉に触れることもある。


普段使わない言葉に触れておくと頭に残り、無意識に記憶できる。


そういった意味で、読解力の低下を防げるとは思う。


だが、本や新聞は読むものであって、基本的にアウトプットがない。
本当に理解できるかどうかの確認作業がされないため、読解力低下防止につながらない。


何かを読み、それについて要約する機会や説明する機会がないと、読解力の低下は避けられないだろう。


読解力を上げるには




読解力を上げるには、まず自分がどれだけ読解力があるかを認識する必要がある。


読解力を計るサイトは簡単に調べられるので、ご自身で調べてみてほしい。


読解力が低下している人の特徴は、単語ばかりに着目し、述語、助詞を意識していないからではないかと言われている。


英語の授業を受けると、能動態、受動態を意識するよう学ぶ。


日本語にも受動態の文法と能動態の文法がある。


受動態では、「らる」、「られる」が述語で使われる。


受動態か、能動態かでは、まったく意味が変わってしまうので、注意して読んでいく必要がある。


また、5W1Hが重要だ、とたまに目にする人も多いだろう。


5W1Hとは、who「誰が」、what「何を」、when「いつ」、where「どこで」、why「なぜ」、How「どのように」の英単語の頭文字を取った文章を作成、読む際に意識すべき技法である。


では、例題を使い、当てはめてみる。


本ブログの記事の冒頭。


 日本の読解力の低下を嘆く論調はたびたび見られる。

who    : 

what   : 読解力の低下を嘆く論調

when  : 

where : 日本

why    : 

How   : たびたび見られる


このように1文だけでは分からないところがある。


ここから何を書けばいいか、分かりやすくなったのではないだろうか。


もう1つ読解力を上げるためには、「てにをは」を意識してみるといい。


私も「てにをは」を間違えていることが多々ある。


「てにをは」とは助詞のことである。


先ほどの冒頭文を例にすると、


『日本読解力低下嘆く論調たびたび見られる。』


が助詞にあたる。


助詞は少し間違えても、なんとなく意味が通じてしまうケースがあるので気づきにくい。


そのため、wordなどの文章作成には校正機能がついている。だが、校正機能も完璧ではないので、しっかりチェックしてから相手に見せるようにした方がいい。


国語の授業で音読することがあると思うが、校正する時も音読するといいとアドバイスされる方がいる。


理由としては、音読するとおかしなところがよく分かるからだ。


読みにくいところや助詞に違和感がある、などに気づきやすくなるそうだ。


もし音読はちょっとと思うのであれば、読み上げ機能を使うといい。


wordにもあるはずなので、探してみてほしい。




文章を読めることと読解力があることはまったく異なる。


たいていの人は、文章を読める。


日本の識字率90パーセント以上だが、文章を理解できているかどうかは別だ。


文章を理解できているかどうか確かめるには、前述したように読解力テストなるもので確かめてもらうか、要約する癖をつけた方がいいかもしれない。


読解力の重要性は語り尽くした。


昨今、学び直しを推進する動きもある。


本来、学び直しとは仕事に使うスキル習得に使われると思うが、読解力の低下を防ぐために学び直すのも学び直しにあたると個人的には思う。


読解力は誰もが義務教育で身につけるものだからと、学び直しをしたくない気持ちも分からなくはないが、読解力は基本的な能力に関わるので、身につけておいて損はない。


基礎が大事と、他分野でも言われる通り、読解力を鍛えれば、様々なことで生かせるのは間違いない。


配信動画で国語の授業をされていることもあると思うので、そちらで一から学ぶといいだろう。



いかがだっただろうか。


ぼっちは他者とコミュニケーションを取る機会が減っていくので、なかなか自身の読解力に気づけない可能性がある。


日常生活に支障はないし、コミュニケーションを取ろうと思わないので、読解力を鍛える意味がないと思われるかもしれないが、ネット上ではテキストベースで会話する機会もあるだろう。


その時、必ず読解力が試されてしまう。


伝えるにせよ、読み取るにせよ、読解力は必須なので、相手に伝わるくらいの読解力は持ち合わせておいた方がよいだろう。


これは私にも言えるし、間違っていることもあるので、気をつけていきたいと思う。


読解力を上げると、いいことづくしなので、人間関係をよくしたいなら、読解力を上げるという手もあるだろう。


また、トラブル回避にもするかもしれない。


前述でSNSの炎上にも触れたが、あらゆる諸問題について、冷静に本質を捉える力が身につくし、いたずらに共感しない癖も身につく。


諸問題を語る人々の話を理解できるようになる。


こういう時、言っていることは客観的に理解できるが、共感しないということはよくある。


このように多角的に物事を分析できるようになると、今まで感じている生きづらさも緩和される可能性がある。


ここで読解力を上げるために意識すべき点をもう一度挙げていく。

  • 5W1Hを意識する。
  • 「てにをは」助詞に気をつける。
  • 主語、述語を意識する。
  • 能動態か、受動態か、注意する。
  • アウトプットする機会(読解力テストを受ける。話の要約をする)をつくる。



今回は読解力低下を取り上げた。


不安を煽るような話をしたが、根を詰めすぎてストレスを溜めてしまうようでは本末転倒だ。


ほどほどに学んで読解力の低下を防ぐ取り組みをしてみよう。







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ちまたにあふれる性格診断。


聞き馴染みのある血液型による性格類型診断


少しマニアックなのでいくと、軽く握られた手の上に「顎をせてください」と言われた際に取る行動によって診断するSM診断、手相診断などなど。


なんとなく説得力のありそうなものから、うさんくさそうなもの、根拠は薄そうなものの、楽しめそうなものまで。


自分を知る診断系の話は何年も残り続けている。


どれだけ科学や文明が発展しても、自分を知りたいと欲求はついえないということだろう。


今回は、最近よく見かけるMBTI診断をやってみた。


※こちらは公式のMBTIとはなんら関係はありません。

※より正確な情報をお求めの際は、一般社団法人、日本MBTI協会のホームぺージをご覧ください。


MBTI診断とは





MBTI診断とは、ユングのタイプ論をもとにして、心の機能と態度の側面から16の性格タイプに分類し、それぞれの強み、特徴、課題を知り、人との違いを認識して、個人の成長と人間関係づくりに役立てることを主な目的として作られた性格検査。


ユング(故)は、スイスの心理学者で、「集合的無意識」などで知られる分析心理学に貢献した人物。また、ユングはタイプ論という、性格類型理論を提唱ていしょうしている。


MBTI診断は、ネットでも受けられるようだ。


いくつかの質問に答えるだけで、自分がどんなタイプかを教えてくれる。


無料診断を提供しているものをいくつかやってみたが、私はINTP-A、研究者、学者タイプらしい。


ただ、ちまたで流行っているMBTI診断だが、実際には正しくない可能性がある。



ネット上で診断できるMBTIは、正確じゃない可能性が高い




MBTIの歴史は古く、MBTIが開発されたのは1962年。アメリカの親子によって研究開発された自己理解ツール。


この検査は昔からあり、そもそもタイプで分けることを目的にしていない。


一般社団法人日本MBTI協会によると、


回答した個人一人ひとりが、自分の心を理解するための座標軸として用いることを最大の目的にしています。


日本MBTI協会は、ネット上で散見されるMBTIを称する診断があることを知っているが似て非なるものであると、ホームページで見解を示している。


そうなると、INTP-Aというタイプすら怪しく見えてくる。


また、診断結果に著名人の名前が出てくることがあるが、実際には診断していないのにもかかわらず、そのタイプであるかのように本人の許可を得ずに載せている可能性がある。


さらに、このMBTI検査は、ネットで質問に答えればわかるようなものではない。


資格を持った人物が必ず対面で行うことが倫理規定で定められている。


つまり、私たちが普段見聞きしているMBTI診断は、まったく当てにならない可能性がある。


MBTIは、自身の軸を知るためのものであり、心の成熟と異なる人間との許容度を高めるメソッドであるそうだ


検査によって得られた結果ではなく、検査をしていくうえで自己を理解するという過程に重きを置いている。


様々な診断ツールは類型化されがちだが、類型化のデメリットは決めつけられてしまう点にある。


先ほど挙げた血液型診断で、よく聞いたことがあると思う。


私はB型ですと言うと、周囲からよくない反応をもらった経験をした方がいるんじゃないだろうか?


コミュニティ内で決めつけられたことで、過剰な心理的ストレスを抱える場合もあるそうだ。


しかし、血液型診断は科学的根拠がなく、当てはまらないこともしばしば。


いたずらに改変、編集されて、流行ったものであることが知られてしまった。


これにより、タイプに当てはめて人を判断する思考が強くなり、非難する道具に変わってしまう。


タイプ論は早見表のようにわかりやすいが、色眼鏡でその人を判断してしまう危うさがある。


それは個人を理解するうえで障壁になり、かえって人間関係を悪化に導く。



性格検査で重要なのは・・・





今後も様々な性格診断や性格検査が出てくると思うが、そうしたツールで一番大事なのは、

自身のタイプを当てはめることではなく、設定された性格タイプと自分の心との差異、違和感に目を向けることであったり、

自身と同じ性格傾向を持つ者の行動と意図、または、無意識下にある本音など、多角的に分析してみることが重要ではないかと思われる。



そうすることで、言語化できなかった自分の心が可視化され、自分を知ることができるのではないだろうか?


もし、見えていなかった自分を知れば、今まで思い悩んできたことが解決し、新たな人生の道しるべになるやもしれない。


タイプ論はメディアでよく持てはやされるが、実際には根拠のないものがほとんど。


実際に個人を深く知ろうと思えば、時間と手間がかかるもの。


もし性格診断なるものが出てきた時は、単なる娯楽として認識した方が惑わされなくていいと思う。


ただ、自分を知ろうとする心は、大切にしていい


向上心を持って、前に進んでいこう。




自己理解に役立つ話をしている記事はこちらになります。



















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